“してあげる”の関係から、私は静かに離れた
2025/08/06
私はこれまで、「してあげる」という言葉に強い違和感を覚えてきた。
それは単に言葉遣いの問題ではない。
その言葉の裏にある“上下の構造”と“見返りの期待”が、息苦しかったのだ。
「こんなにしてあげたのに、理不尽な仕打ちをされた」と嘆く人を、私は知っている。
彼女は、他人に対して常に不満を抱いていた。
感謝された人、見返りを返してくれた人だけを「いい人」とみなし、それ以外は見下した。
周囲にいる人間を、まるで“恩を返す機会を与えられた存在”のように扱っていた。
私は、その態度に共鳴できなかった。
かといって、彼女に直接反論することもなかった。
黙って距離を取り、感情を手放した。
怒りも、悲しみも、共感も生まれなかった。
むしろ、何も感じなかった。
それが、自分がその構造から抜け出せたことの証拠だったと思う。
ただ、私は決して「被害者」ではない。
過去に、自分も誰かに恩を着せたくなったことがある。
見返りを期待して親切をしたことも、
承認欲求のために“優しい自分”を演じたことも、確かにあった。
だからこそ、「してあげる」という言葉の居心地の悪さを、
他人事ではなく、自分自身の問題として受け止めている。
行為は、ただ「する」だけでいい。
して「やる」必要も、して「あげる」必要もない。
そして、感謝は相手が決めることであって、自分が強要するものではない。
私はもう、「してあげる」という言葉の構造に巻き込まれない。
巻き込まない。
ただ、自分の意思で動き、結果として相手が喜んでくれたなら、それで十分だ。
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